8.11.2012

like father like son そういうことねっ

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洒落たペーパーバッグでしょ。ブルガリの125周年記念のモノ。
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紐の金具だってゴールド。ヘーーーーーーイ!
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中身はブルガリじゃなくってよ。グラス。



勇司サンに逢ってきた。何年ぶりだろう。たぶん15年ぶりくらいかもしれない。
ユウジサンというのはワタシのstep brother 異母兄妹のこと。兄と言っても65歳。父であってもおかしくない年齢。
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そんな兄が彫ってくれたのがコレ。クッションカバーに刺繍したのがヒトラーの顔だったからグラスもコレ彫ってもらったんだぁ。
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グラスの底にはドイツ文字でイニシャルを入れてくれた。”K” 。
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お兄ちゃんと奥さんと一緒にインド料理屋に連れてきてもらった。キュウリが♡
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欲ばりなワタシはプレートでオーダー。
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お兄ちゃんが食べていたナンのようなナンではないモノが美味しそうだったよ。
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シェフやオーナーサン。
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お兄。65歳。可愛らしく笑ってるけど。時折見せる眼鏡の奥の”人殺しそうな目”はやっぱり親父に似ているんだな。MONCLERのポロシャツが可愛かったよ。パンツは千鳥格子のペンシルパンツ(細身のパンツ)でmodernsみたいだった。
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イヤらしい時計。ブルガリのスクーバクロノ。ブラックゴールドがまたまた憎いんだぜっ!
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眼鏡もすげぇーカッコ良かった。泰八郎謹製の手作り。ってワタシはその人が凄いとか有名な人とか知りませんけど。ほほほ。
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私たちの親父。こっちは本気で人殺す目をしています。笑。殺さないまでも日本刀を振り回し、スーツの下には銃ホルダーつけて銃持って暴れちゃうようなね、そんな人。笑。家宅捜査で入り込まれたとき、あと一歩で帰る刑事が警棒でさーーーーーっと梁をなぞって。落ちてきたのが茶褐色の防錆紙に包まれた銃だった。戦後間もない頃の話。アノ時代はなんでもアリだったのでしょう。そうでしょう。


写真の中の親父ネルシャツに裏皮のスタジアムジャケット。お洒落への情熱、モノ事への拘りはお兄もワタシもコノ人の血を受け継いだのね。
”親父みたいになろうなんて思ったこともないし、似てるって言われてもピンとこないけど。血を受け継いだなって感じることはたくさんある”って言ってた。ワタシ自身もそう思うことが多々あって。死ぬほど嫌だったけど。血は血だね。親父の血が流れてる。

それが like father like son 。そういうこと。

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そしてナンでもありの戦後。親父を可愛がってくれた人たちの中にはこんな人も。アキラブログでも書いたけど、戦後、昭和の政治、日本はハチャメチャで破天荒で酷い。だけどオモシロ可笑しかった。今日こんにちの日本、政治、経済よくわからないし、知ろうともしないし、どうでもいいと言ったら語弊があるかもしれないけど。何も感じないんだよね。昭和、子供の頃のワタシは親父から戦前、戦後、政治経済の表も裏もたくさん話をしてくれた。いつの間にかあたまの中に入り込んでいて。覚えていることがたくさんある。とはいえ、覚えていたところで日本がどうなるなんてこと考えもしない。ワタシはどこに行こうかそんなことばかり考えてしまうんだな。




親父の背中に南無阿弥陀仏:http://akiramrstaylor.blogspot.jp/2010/02/blog-post_08.html
児玉誉士夫:http://ja.wikipedia.org/wiki/児玉誉士夫


wikiだと仰々しいけどこの文は簡単で面白かったから載せておく〜。

児玉誉士夫と小島よしおの違いがわからない若い世代でも、「東京スポーツ」なら知っていると思う。

児玉は東京スポーツを所有する他に、腹心をいくつもの雑誌社の役員に送り込んでいた。
それらに書き立てられることは脅威となった。
悪事を書き立てる正論新聞を黙らせるため、巽産業株式会社代表取締役石井唯博(後の稲川会会長石井進)を送り込んだこともあった。

「1948年末、釈放された児玉はCIAに協力するようになった」と後にアメリカでも報道されたし自身も存命中CIAのエージェントであることを認めている。

2007年3月12日にアメリカの公文書館保管のCIA対日工作機密文書が機密解除されて公開されたが、それによると、児玉のことを「プロのうそつきで悪党、ペテン師、大どろぼうである。
情報工作できるような能力は全くなく金儲け以外に関心がない」と酷評している。

児玉誉士夫は右翼やヤクザ組織、政治家との繋がりによる「力」、様々な表、裏の資金源から得る「金」によって日本で最も影響力のある大物フィクサーにのし上がったとされる。
とくに稲川会系とはつながりが深く、小泉純一郎はその舎弟。

ロッキード事件では、同社から巨額の対日工作資金を受け取ったとして
脱税と外国為替管理法違反で起訴されたがその対日工作資金を田中角栄に渡していたのである。

児玉はすでに1958年からロッキード社の秘密代理人となり、日本政府に同社のF-104“スターファイター”戦闘機を選定させる工作をしていた。
児玉が働きかけた政府側の人間は自民党の大野伴睦、河野一郎(現衆議院議長の父で河野太郎の祖父)、岸信介らであった。

1960年代末の契約が更新され、韓国も含まれるようになった。児玉は親しい仲にあった韓国の朴政権にロッキード社のジェット戦闘機を選定するよう働きかけていたのである。

韓国に対する影響力の大きさが窺える。
しかし、この頃、大野も河野も死亡しており、新しい総理大臣の佐藤栄作(岸信介の弟)や田中角栄にはあまり影響力をもっていなかった。

そこで児玉は田中との共通の友人、故小佐野賢治(国際興業=BMWを独占販売している会社)に頼るようになった。
小佐野は日本航空や全日本空輸の大株主でもあり、ロッキード社製のジェット旅客機の売り込みでも影響力を発揮したが、すでに日本航空はマクドネル・ダグラス社製のDC-10型機の購入を決定していたこともあり、その矛先を全日空に向けた。

この頃深い関係を作り上げていた田中角栄が1972年に首相になると児玉の工作は効を奏し、全日空はすでに決定していたマクドネル・ダグラスDC-10の購入計画を、後に贈賄で逮捕される元運輸次官の若狭得治社長の指示で破棄し、ロッキード社のL-1011トライスターの購入を決定。その後全日空は同機種を21機購入し、この結果ロッキード社の日本での売上は拡大した。

その後間もなく田中角栄はロッキード社から児玉を通じて渡された工作資金を、ロッキード社副社長コーチャン氏によってすっぱ抜かれ、失脚する。

何故蜜月関係にあったロッキード社が、自ら違法献金を公表し田中を貶めた背景は一体何なのか考えてみたい。

田中角栄が総理就任後一番初めにした事は日中国交回復。
これは隣国同士常に緊張状態を構築しておきたかった勢力にとって、驚天動地の出来事であった。

更に、イスラエル支持からアラブ支持を表明した。
おまけに、田中はアメリカ、エクソンモービルだけに頼ったエネルギー政策に危機を抱き、東南アジアルートを模索していたもだから、ロックフェラー様は頭から湯気を立ててお怒りになり、ついにプッツンしたようです。

エクソンモービル、ロッキード社はオーナーがロックフェラーだという事をご承知ください。

ベンジャミン・フルフォード氏が田中真紀子衆院議員に「御父さんの失脚した本当の理由が知りたい」と接触を試みたとき真紀子議員から「あなた、そんな事をしたら殺されるわよ。」と忠告されたと言います。

つまり田中角栄は、脱・ロックフェラー路線をとった事ではめられた訳なのだ。

つづく。




もともと自民党を作ったのは誰なのか。
岸信介、笹川良一、児玉誉士夫の3人である。
3人ともA級戦犯で巣鴨に拘留されていた。
戦後の日本を手中に収めるためにアメリカ政府はGHQを飛び越えて直接ワシントンからの命令でこの3人は無罪放免とした。
もちろんCIAのエージェントとして活動することを条件にだ。

資金は「児玉誉士夫」でも触れたように児玉が終戦までに中国で略奪してきたダイヤ、プラチナなどである。
これを鳩山一郎(鳩山由紀夫、鳩山邦夫の祖父)が、河野一郎(衆議院議長河野洋平の父で、衆議院の河野太郎の祖父)に換金させたものである。

岸信介の弟が佐藤栄作であり、孫が安倍晋三である。
そして一の子分が小泉純也(小泉純一郎の父)であり、純也の支持母体が稲川会であり、小泉純一郎の後援会会長は稲川会の人間である。

この時の自民党の流れを直接引き継いでいるのが森喜朗率いる清和会である。

清和会は一貫して自民党の有力派閥だったが、ポスト佐藤で福田赳夫が田中角栄に敗北して以来、自由党系の平成研究会や宏池会などの諸派に比べると非主流派に甘んじることが多かった。

同派が主流派として実質的に政権の中枢に帰り咲き、日本を担うようになるのは小泉政権発足以降である。

田中角栄の登場はアメリカにとって想定外だった。
このときからアメリカは自分たちの思うような方向に日本を誘導できなくなったのである。

あらゆる手を使って田中派の排除をしてゆくが、失脚後も長年角栄が「ドン」として君臨していたため、思うようにいかなかった事も事実である。

ここで、突然亡くなった大物政治家を思い出していただきたい。
大平正芳、小渕恵三、梶山清六、橋本龍太郎、すべて田中派の流れをくむ人間であるが、これは偶然か・・・?

田中派は金に汚いイメージが付きまとうが、事実である。
なぜならば、ロックフェラー様からの資金援助がないためである。
清和会は、ロックフェラー様からあらゆる団体などを経由して(マネーロンダリング)資金が流れ込んでくるので資金は潤沢である。
田中派は自前で資金を調達しなければならないために金権政治のイメージが定着してしまったことと、メディアがそのイメージつくりに多いに加担したのである。

読売の創設者は正力松太郎という事は知っていと思うが、彼もまたA級戦犯として巣鴨に監修されており、岸、児玉、笹川とともに無罪放免となった。
こうしてアメリカCIAの傀儡政権とメディアがタッグを組み日本を支配してきたのである。

この流れをとにかく断ち切らなければならない。
民主党が良いわけではないが、この流れを止めるにはいっ時は必要な事であると思う。





流れた曲は。コイツ。

ぁぁぁぁああああああーーーーーーーー! 
アレのためにアレしたアレが明日に届くみたい!
だから日曜日にはアレにアレを渡すことができる!
やったーーーーーーー!早く日曜日になってーーーーーーー!

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